刀川小学校の名前の由来
「刀川」の名は、学校の却下を、すでに大河の趣を表して銀蛇のうねりを見せる利根川の名をとったものです。トネ川は、古来「利根」と書かれ、それが一般化されていますが、「刀祢川」の文字も用いられました。特に、この書き方は文人墨客に好んで用いられました。「刀川」は「刀祢川」の首尾をとったものです。
赤城山とその足下を洗う利根川とは、この地域のシンボルですが、特に本校発祥の地宮田の岸を洗って悠々流れる利根の名をとって、「刀川」としたことは、地域人の文化度の高さ、文化を追求する心の表れとして、また、利根の流れの如く悠々たれと願う地域人の心の表れとして実によい名称です。
地域の様子
刀川小学校区は赤城西麓に位置する赤城町の南地区(旧横野村)の北半を占めます。地域は西傾斜の山麓に広がり、標高300m附近の山麓部によって、山麓部と河岸段丘部に二分され、山麓部は発達した数条の輻射谷によって、大地と低地に細分されています。
土壌は関東ローム層の上に黒土層、さらに厚く積もった二ッ岳噴火による浮石層に覆われ、その上に浅い耕土層がのっている、あまり農耕に適さない地域です。
歴史的には古く、縄文時代の遺跡「滝沢遺跡」や古墳時代の遺跡「寺内遺跡」を有し、また、上野九牧の一つ「拝志牧」もこの地域と考えられ、本校の所在する台地は、「二城山」と呼ばれ、「不動山城」のあった所です。
行政区分では北上野・勝保沢・見立(一部)・滝沢(一部)の上郷(山麓部)・樽・宮田の下郷(段丘部)の6箇大字が通学区です。
このような歴史的条件から、早くから村落は開けていましたが、上の地理的条件から、山村的で、集落形態からいうと主として集村、東部は散村形態を持っています。
産業的には従来養蚕を主とする畑作農業でしたが、最近の経済変動や地理的条件などから、農業が盛んでなくなってきました。わずかに段丘部での野菜・果実栽培農家、山麓部での養豚等畜産関係農家を除き、専業農家はなくなり、会社員などの保護者が多くなっています。
校章の由来
校章のまわりの形は桜を表しています。校章の内側は、桜のめしべやおしべと「刀と槍」で漢字の「川」をイメージしています。
桜
「川」をイメージした「刀と槍」
校章
刀川小学校校歌
作詞 岩田 昭三
補筆 和田 利夫
作曲 後藤 重樹
1
緑の赤城嶺 二城が丘に
燃える希望の 朝日を浴びて
知と愛の 泉のほとり
すこやかに 伸びる若草
ああ刀川 刀川小学校
2
風にも雪にも くじけず負けず
みんな元気に 足なみそろえ
学び舎の 坂を登れば
雲遠く 夢はひろがる
ああ刀川 刀川小学校
3
はるかな海まで 流れてやまぬ
利根の川水 心にくんで
日に月に 進む世界へ
乗りだそう 理想求めて
ああ刀川 刀川小学校